現在の校地に移転したころ


校舎が現在地に移転したころ
 
1921年(大正10年)、4度目の引っ越しで、今の場所に南小学校はうつってきました。
校舎は、木造2階建ての10教室で、東のとなりには、南生駒村の役場もありました。
おくれてできた北校舎は、天王寺の師範学校寄宿舎をもらいうけてたてました。
1940年(昭和15年)、奉安殿(ほうあんでん)が忠魂碑(ちゅうこんひ)のきたどなりに完成し、卒業写真の背景に使われるようになってきました。当時は、登校すると、まず、奉安殿と二宮金次郎の石像に礼をしてから、教室へ向かうことになっていました。
1941年(昭和16年)、南生駒国民学校と名前を変えました。
初等科には、国民科として、修身・国語・地理・国史、理数科として、算数・理科、体練科として、体操・武道、芸能科として、音楽・習字・図画・工作・裁縫(女子)があり、ました。
1944年(昭和19年)には、大阪市東桃谷校の疎開児童が55名やってきて、戦争の激しさが伝わってくるようになりました。
 
校門が、現在の中門と正門の間にある 現在地にうつった木造校舎
奉安殿前での記念写真 毎朝あった全校朝礼