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                学校のあゆみ

 生駒市の南部に位置する壱分地域は、古代から中世にかけて往馬神社(往馬大社)を中心に拓けてきました。この神社は、歴史・文化などの面でこの地域の中心的役割を果たしてきたようです。
 近世になると、この地域は郡山藩領となり、その行政村であった「壱分村」に今日の小学校の基ができました。
 明治から昭和30年頃までは、純農村地帯でしたが、その後、徐々に兼業農家が増え、昭和40年頃からは急速に住宅開発が進み、人口もそれにともなって増加してきました。
 本校は昭和57年4月1日、生駒南小学校の児童数増による過密を解消するため、同校の分離校として開校しました。

        壱分小学校の前史

明治7年5月20日 山崎に立本舎が創立された。
明治9年6月 菜畑小学校が創立された。
明治16年3月 菜畑小学校壱分分教場が設立された。
明治19年11月 山崎尋常小学校が設立された。
明治21年4月 町村制の実施により壱分は南生駒村に編入された。
南生駒村立南生駒尋常小学校と改称し、壱分分教場となった。
明治24年10月8日 壱分分教場を廃し、本校に合併された。(これまでは、壱分は北生駒村)
明治30年4月 南生駒村組合立高等小学校が,往馬神社(往馬大社)前に設立された。
40年3月まで。
明治40年4月 南生駒村南生駒尋常高等小学校となり、現青山台(萩原城跡近く)に設立された。
昭和10年2月 同校が現在地(萩原町335番地)に移転された。
昭和30年3月10日 生駒町立生駒南小学校と改称され、558名が在学する。
昭和46年11月 生駒市立生駒南小学校と改称され、474名が在学する。
昭和57年4月 生駒市立壱分小学校が設立され開校(生駒南小学校より分離)し現在にいたる。