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Kami Junior High School 
   


校区案内 ー地域の文化財ー

神話時代の鳥見郷上村(上町)  ―「生駒市誌」参照― 
 上村(上町)から斑鳩まで続く矢田丘陵(斑鳩三十六峰)のような長くのびた地形を長層嶺(ナガソネ)と呼び、そこの部族の長を長髓彦(ナガスネヒコ)と言い、登美彦(トミヒコ)とも呼んだ。彼は長くこの地方に占拠していたが、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天磐船(アマノイワフネ)に乗って河内の国から、いかるがの峯をこえて白庭山に来られたので、この命を報じて益々勢盛となった。命は天照大神の皇孫で、長髓彦を帰順させ、その妹の御炊屋(ミカグヤ)姫を娶って、可美真命(ウマシマデノミコト)という男児をもうけられた。 
 その後、神武天皇が、九州でこのことを聞き、瀬戸内海を東征して大和へ攻め込もうとされたが、長髓彦が地のよい生駒山を盾にこれを迎え撃ち、天皇は大和に入れなかった。そのため、天皇は紀州を廻って大和に入り、東からこの地を奇襲攻略された。この時に
金色の鵄(トビ)が飛び来て天皇の弓にとまった。その鵄の光が流電の如く輝いて、長髓彦の軍兵が目がくらんでしまって戦えなくなった。この話が有名な金鵄伝承である。饒速日命は、神武天皇と同族であることを知り、長髓彦を斬って帰順された。その功によって、後に物部氏としてその子孫が栄えた。
 これが、
鵄山鵄邑(鳥見村・富雄)の起源である。一説によると、トビ・トべ(その変化としてのトミ)またナガ(ナカ)は「蛇神」をさす呼称であり、金色の鵄は本来、長髓彦(登美彦)の側のトーテム(神)であり、「金色の蛇(トビ)=金色の鳥(トビ)」である。 
長髓彦本拠    鵄山 

長弓寺(ちょうきゅうじ)
 聖武天皇が鳥見郷の名族真弓長弓(小野氏)の案内で、この地で狩を催した際、長弓は世継ぎの長麻呂の放った流れ矢にあたって死んだという。天皇はその死を哀れみ、行基に命じて寺を建てさせたのが当寺であると伝えられている。
 本堂は、棟木銘によると、弘安2年(1279)に再建されたものである。桁行5間、梁間6間で、屋根は入母屋檜皮葺きとなっている。鎌倉中期の天竺用の影響を受けた和様仏堂の優れた建築物として国宝の指定を受けている。本尊は十一面観音立像で、納めている黒漆厨子とともに国の重要文化財となっている。
 石造文化財としては、紀年、天文22年(1554)の役の行者像板碑などがある。

圓證寺(えんしょうじ)
 筒井順慶の父順昭の菩提寺として知られる真言律宗の寺院。もとは奈良市林小路町にあったが、文化財保護存続のため、昭和60年に生駒市上町に移された。室町時代に建立された本堂と文殊菩薩像・普賢菩薩は国の重要文化財。本堂横の順昭の銘のある五輪塔も重要文化財である。特に、普賢菩薩像は桧材の一木彫で、体奥の深い充実した肉取りや、翻波式衣紋などの表現にみられるように、平安前期の秀作である。また、文殊菩薩は平安後期の整った端正な仏像である。
 その他、雪山の庭と名付けられたすばらしい石庭がある。
 
 

  福満寺地蔵石仏
(ふくまんじじぞうせきぶつ) 
 紀年、永仁6年(1298)の鎌倉末期の秀品の舟形光背の地蔵立像石仏。整った姿態と、きれいな衣紋の流れ、足もとの写実的な立体感などよく鎌倉後期の作風を残している。
 生駒南中学の校区にある石仏寺の阿弥陀石仏や応願寺の地蔵石仏とともに、生駒市を代表する石仏である。
  
 
 福満寺地蔵石仏

行者の森・行者石仏(ぎょうじゃのもりぎょうじゃせきぶつ
 古木を思わせる自然石に、役の行者と前鬼・後鬼が刻まれていて、江戸時代の作である。石が年輪のような模様になっていて、あどけない表情の二鬼とともにユニークな石造品である。付近には伊勢講の碑や弘法大師堂があり、行者の森は江戸時代の行者信仰や伊勢講・弘法大師信仰など、民間信仰の遺品の宝庫である。 


後鬼・行者・前鬼





前鬼
 

稲葉谷行者石仏
(いなばだにぎょうじゃせきぶつ)
 上中学校の西約1キロ、上町白谷と南田原稲葉谷の境の崖の露出岩に、舟型に彫り凹めて、役の行者像を彫りだしている。安永7年(1778)の紀年が入っている江戸中期の作で、丹念に彫りこんだ写実的な石仏である。行者の森の行者像など他の生駒市内の行者像に較べると人間くさい表現となっている。
 
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